誘いの言葉

kasta22007-10-05


東京都写真美術館で写真家の鈴木理策さんの展覧会「熊野、雪、桜」を見た。鈴木さんは過去に、熊野や恐山への旅をまとめたロードムービーのような写真集や、セザンヌが描いたサントヴィクトワール山のからっとした乾いた風景をおさめた写真集などを出している方だ。今回の展覧会は、熊野山中の森や滝の写真、同じく熊野の御灯祭の火の写真、北海道十勝の雪と桜の写真の3本立てとなっている。

今回の写真は、熊野や十勝といった具体的な撮影場所の名前に意味があるのかどうか分からないほど、被写体のなかに写真家自身が入り込んでいる。写真はどれも、熊野や十勝の風景を思い描かせるような「引き」の構図ではない。樹々や雪そのものが画面をいっぱいに占め、緑、水、桜、白といった自然の色があふれている。祭りのたいまつを捉えた火の写真にしても、主役は火の粉や火そのものである。

とはいえ、それらは自然の美しさを謳い上げるためのものではない。それにしては被写体に接近しすぎている。ときには桜の花びらはピントを失うほどにまぶたに寄り、雪はほとんど視界すべてを覆うほどに広がっている。そこには写真家がその場所にいて体験したことを伝えようという意思が感じられる。体験のすべてではなく、その一部しか伝わらないかもしれないが、むしろ写真を見る者自身の内なる体験を憶い起こさせるような伝え方、あるいは見る者をその場の体験へと誘うような伝え方かもしれない。「撮った後も、その場をじっと見ている」と鈴木さんが言うのは誘いの言葉かもしれないのだ。