現場へ行く

kasta22007-08-02



午前中は川口市の現場へ。10階建ての集合住宅の1階がもうすぐ立ち上がる。これからほぼ2週間サイクルで躯体が上へ上へと伸びていく。今日の現場は梁の鉄筋を組んでいる真っ最中で、同時に壁の型枠も建て込んでいる。壁のおさまりやスリーブの位置についていくつか細かい確認をしたあと、現場事務所で2時間ほど所長さんと打合せ。

夕方からは神田へ向かい、この春から続いている大学のゼミの授業に出席。大学4年生6人が、それぞれに神田の街をサーベイし、各自が関心を持ったテーマに沿ってリサーチを進め、最終的に何らかのプロジェクトを立ち上げるというもので、既に授業はプロジェクトの段階に来ている。...はずであったが、プロジェクトの立ち上げというところで頓挫する学生が続出して、ほとんど体を成していない。野菜の行商を実体験したり、船宿建築を実測したり、天井高さが1.3mしかない部屋で暮らすおばあさんの部屋を訪ねたり、と聞くだけでも面白いことを経験しているのだが、いったい何をやったらいいのか分からないという気持ちらしい。

妻有アートトリエンナーレ2006のプロジェクトを考えるために、2004年に2泊3日で妻有を訪ねたとき、1人スタッフを連れて行った。彼女は建築出身なので、妻有のアート系プロジェクトとはいったい何をしたらいいのか見当がつかなかったはずだし、土地勘もなかったはずだ。一方、僕は2003年の妻有を経験しているから、なんとなくイメージはあったけれど、逆に1人で考え1人で行動していた2003年と違い同行者がいるという状態に戸惑いがあった。1人旅とグループ旅行の違いのようなものかもしれない。

最初に、2003年に見つけていた室島という集落にある小学校の廃校に行ってみた。何も使われていない木造校舎があるはずだったのだが、雪下ろしの手間のせいか校舎は取り壊されてガレキの山になっていた。仕方なくしばらく集落を歩き、近くに住んでいるおばあさんに話を聞いていたら、旦那さんがずっとその小学校のカメラマンをしていたとのことで古い写真を見せてくれた。何枚ものモノクロの集合写真があり、最後の1枚が閉校式の写真だった。僕らはその写真を貰い、町役場に行った。役場でその町の他の廃校の場所を教えてもらい、再び車で山奥の集落を訪ね歩いた。高倉、小脇、田戸。どこも車がようやくすれ違えるような1本道の先にあり、10〜30世帯程度の小さな集落だった。最後に訪れた田戸の廃校跡に最も心惹かれ、結局2006年のプロジェクトはそこで展開することになるのだが、実際にそこで何をするのかということを考えつくのはもっと後になってからである。

その日だったか翌日だったか現地の図書館に行き、何かヒントが得られないものかと地域資料のコーナーを渉猟していたさなかに、ふと佐渡に行ってみようかと思いついた。佐渡金山の坑道掘りの技術が信濃川周辺の治水技術に影響を与えているかもしれないという予測があったのだが、本心は、十日町から佐渡という近くて遠いような距離感を体験することによって、何か突破できるのではないかという期待があったのだ。

すぐに図書館のコンピュータで佐渡汽船の時刻表を調べたりしたのだが、結局は日程が合わなくて佐渡には行かなかった。しかし、一旦、佐渡という思いつきのような、当てずっぽうのような広がりを意識したことが、プロジェクトを考えるうえで、アートとか建築とか、学校とか公園とか、機能とかデザインとか、いろいろと囚われていた固定概念を取り払うことに役立ったように思う。もちろん後から振り返ってみればだけれど。

結局、いまの僕にできるのは、この妻有行きのときのように一緒に考えるということなのかもしれない。行き先が見えない状態で、とりあえず、こう行動するという経験。本当は、佐渡も当てずっぽうなのではなく、PHスタジオとしてロンドンでプロジェクトをやるときに、なぜかアイルランドだと言われて結局大西洋に浮かぶアラン島まで行ってしまった経験を真似てみようと思ったのだ。

川口の現場は建築の工事現場だから当てずっぽうではいけない、きちんとした根拠に裏打ちされた技術のやりとりの場だ。しかし大学の授業は、少なくとも僕が担当している4年生の一時期だけでも、妻有のときのように「何かが立ち上がる」経験ができればと思う。なにしろ、妻有もアイルランドも僕にとっては最高に楽しい思い出になっているのだから。