セカイ系コーポラ

kasta22006-05-13

ゼロワンオフィスが自由が丘に設計したコーポラティブハウスを見せてもらいました。駅から続く遊歩道を歩いて行くと、桜並木に面して思いきり開いた大きなガラスのファサードが眼に飛び込んできます。ガラスは2層の高さがあって、垂直方向を強調したリズミカルなサッシ割りが外観の印象を決定づけています。一方、各々の住戸のインテリアは平面から素材に至るまですべて違っており、吹き抜けあり、和室あり、在来浴室あり、屋上ありと、およそこの規模の集合住宅で考えられるバリエーションはすべてあるのではないかと思うほどです。

唐突ですが、セカイ系というアニメやコミックのジャンルがあるそうです。エヴァンゲリオン以降、新海誠高橋しんらの作品に共通する設定を称して言われているもので、(世界の救世主である)主人公の身の回りの小さな状況が(危機に直面している)世界の大きな状況と直接的にリンクしているのが特徴です。女子高生が世界の危機を救うために戦ったりする、そこでは軍隊や国家や都市や学校や家族など「私」と「世界」を媒介する中間項、社会的制度と言えるものが極めて希薄で、個人のキャラクターが世界の行く末と直結してしまうのです。それはコミックのなかでは新たな全能のヒーロー像であり、多くは自らが進んで引き受けたのではない受け身のヒーローとして存在しています。

街のなかに建築を建てるということは、同じようにワタシとセカイとの関係を表明することでもあります。そして、現在、セカイ系のように建築の内部事情を直接的に都市にリンクさせる建築が増えているように思います。例えば、MVRDVのダッチ・パビリオンや西澤立衛の森山邸といった建築は、機能が立面を決定するなどというのとは違う次元で、都市の(あるいはテーマパークの)混沌を逆手にとるように、建築の内部が表面に溢れ出ています(建築史的に遡ればルシアン・クロールなども見えてくるかもしれません)。

従来の建築と、こうした都市と生身で向き合う建築とを考えるとき、コーポラティブハウスというのは意識的なスタディの成果と見ることができます。それぞれ異なるキャラクターが集まってひとつの建築をかたちづくるという過程には、どこまで統一した外観を被せるか、共有のスペースをどの程度まで設えるかなど、中間項とも言うべき検討事項が数多くあります。戸建住宅やマンションとは違い、それらは具体的かつ個別的に入居者と敷地によって異なり、いわば制度をそのつど設計しなおしていると言ってもいいのです。僕がコーポラティブハウスに興味を惹かれるのは、そのような原理性にあるのかもしれません。

ちなみに、ゼロワンオフィスとteam2DKの共同設計のコーポラティブハウスが、渋谷区西原において進行中です。現在は、地下の躯体が打ち上がったところなので、お楽しみに。